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『ある閉ざされた雪の山荘で』三重構造とラストをやさしく徹底解説

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正直に言うと、『ある閉ざされた雪の山荘で』は、一度観ただけで全部スッキリ分かるタイプの作品ではありません。
でも、それはあなたの理解力が足りないからではなく、そもそも「多重構造そのものを楽しませる」ように作られているからです。

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この記事では、ミステリブロガーであり元・小劇場役者の私・霧島ゆかりが、三重構造を「レイヤー1〜3」に分けて言葉で図解しながら、ラストの代表的な解釈や原作との付き合い方まで、やさしく整理していきます。

著作権の関係で、具体的なセリフやシーンをそのまま再現することは禁止されているため、ここでは「どのレイヤーで何が現実か」「登場人物たちがどんな立場で物語に関わっているのか」といった構造の理解にフォーカスします。


なぜ『ある閉ざされた雪の山荘で』は一度で理解しづらいのか

「途中から、何が“現実”で何が“芝居”なのか分からなくなった」
「最後まで観たのに、オーディションなのか、本当に事件なのか、頭の中が整理できていない」

『ある閉ざされた雪の山荘で』を観た後で、このようなモヤモヤを抱える人はとても多いです。

結論から言うと、『ある閉ざされた雪の山荘で』が理解しづらい一番の理由は、「雪の山荘で起きる出来事」が、複数のレイヤーで同時に提示されているからです。

  • 観客としては「山荘での連続事件」を追いかけているつもりでも、
  • 実はその背後に
    • 劇団が参加する“オーディションとしての出来事”
    • さらには、その出来事を素材にした“舞台作品”
      が折り重なっています。

つまり、『ある閉ざされた雪の山荘で』では、同じ山荘での出来事が、違う高さの視点から何度も語り直される構造になっています。

視点の高さが切り替わるたびに、「どこまでが本当に起きた出来事なのか」「どこからが演技・再現・舞台なのか」を頭の中で入れ替えなければいけません。この視点の切り替えに慣れていないと、どうしても「ごちゃごちゃしている」と感じやすくなります。

【結論】: 『ある閉ざされた雪の山荘で』を理解するときは、ストーリーを一気に追いかけるのではなく、「いま映っている出来事は、誰の視点で、どのレイヤーの話なのか?」と意識しながら整理していくと、驚くほどスッキリします。

なぜなら、多重構造ミステリでは、事件そのものよりも「どの視点から語られているか」がトリックの中核になることが多いからです。この視点の意識づけは、ほかの複雑な構造の作品を楽しむときにも必ず役に立ちます。


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まずは三重構造を分解しよう:レイヤー1〜3の整理

ここからは、作品の核心となる三重構造を、できるだけネタバレを絞りつつ言葉で図解していきます。
『ある閉ざされた雪の山荘で』を楽しむうえでの土台になる部分です。

レイヤー1:雪の山荘での「出来事」として描かれる世界

レイヤー1は、観客が一番素直に追いかけることになる世界です。

  • 雪に閉ざされた山荘
  • 劇団に関わるメンバーが集められる状況
  • 山荘という閉じられた空間の中で起きていく不穏な出来事

このレイヤー1の世界は、典型的なクローズド・サークル型のミステリとして提示されます。クローズド・サークルとは、外部との出入りがほぼ不可能な状況で、限られた人数の中で事件が起きるタイプのミステリのことです。

観客はまず、「この閉ざされた山荘で一体何が起きているのか?」という問いに引き込まれます。

レイヤー2:オーディションとしての「設定」

しかし、『ある閉ざされた雪の山荘で』は、それだけでは終わりません。

次に明らかになってくるのが、「雪の山荘での出来事」が、劇団メンバーたちに課された“オーディションの設定”でもあるというレイヤー2の構造です。

  • 劇団に所属する俳優たちは、
    • 山荘というシチュエーションの中で、
    • あるルールのもと、役割を与えられ、
    • “演じながら”過ごしている側面があります。

ここで観客は、「いま目の前で起きている出来事は、本当に起きていることなのか? それとも、オーディションのために仕掛けられた演技なのか?」という混乱を覚えます。

このレイヤー2によって、“事件としての現実”と“オーディションとしての設定”が重なり合うため、物語が一気に立体的になります。

レイヤー3:久我和幸による「舞台作品」としての世界

さらに、『ある閉ざされた雪の山荘で』には、もう一段階上の視点として、久我和幸が構成した「舞台作品」というレイヤー3があります。

  • 久我和幸は、物語の中で「脚本の視点」を体現する人物です。
  • 久我和幸は、山荘で起きた出来事や、劇団メンバーの関係性を素材として、
    • 後に舞台として再構成する立場に置かれています。

ここで重要なのは、レイヤー1(山荘での出来事)とレイヤー2(オーディションの設定)が、レイヤー3の舞台作品の“素材”にもなっているという点です。

  • クローズド・サークルの事件
  • 劇団「水滸」の人間関係
  • 麻倉雅美と劇団メンバーの過去

これらが、現実の出来事であると同時に、舞台作品の中身としても扱われます

久我和幸は、いわば「物語構造の案内役」であり、麻倉雅美は「復讐と救いの感情線の中心」という関係にあります。
この二人の立ち位置を意識すると、「なぜこの物語が三重構造で語られなければいけなかったのか」が見えやすくなります。

映画『ある閉ざされた雪の山荘で』における、山荘での出来事・オーディションの設定・久我脚本の舞台作品という三重構造を同心円で表した図


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モヤモヤがスッキリに変わる見方:ラスト解釈と原作との付き合い方

ここからは、『ある閉ざされた雪の山荘で』のラスト周辺をどう捉えるか、そして原作小説との付き合い方について、できるだけ具体的すぎない範囲で整理していきます。

結論から言うと、ラストにはいくつかの代表的な解釈があり、どれか一つだけが“正解”というよりも、「自分が選びたい解釈」を選ぶ余地が残された終わり方になっています。

代表的なラスト解釈のパターン(ざっくり版)

※ここから先は、作品をまだ観ていない方には大きなネタバレになります。
※ただし、具体的なシーンやセリフの逐語的な再現は避け、構造レベルの話に留めます。

ざっくり分けると、ラストの解釈には次のような方向性があります。

  1. 解釈A:「山荘で起きた出来事は、基本的には“現実”として起きた」派
    • 雪の山荘での緊張や恐怖、劇団メンバーの感情の揺れは、現実のものとして重く受け止める見方。
    • そのうえで、ラストの舞台シーンは、「現実に起きたことを、作品として昇華し直した」象徴として捉えます。
  2. 解釈B:「最初から最後まで、“舞台”と“仕掛け”として統合されている」派
    • 山荘での出来事そのものが、極端に言えば“巨大な演出”として設計されたものだと見る立場。
    • レイヤー1とレイヤー2・3の境界をできるだけ曖昧にし、「現実も芝居も最初から混ぜ込んだ作品」だと理解します。
  3. 解釈C:「あえて現実/劇の境界をぼかした“メタ構造”として読む」派
    • 山荘での出来事と舞台作品との境界を厳密に分けることに意味を持たせず、
    • 「現実の苦しみや復讐心さえも、結局は物語として語られ、消費されてしまう」というメタな視点で読む立場です。

どの解釈を採用するかによって、麻倉雅美という人物の“救い”の見え方も変わります。

  • 現実を重くみる解釈では、「どうにかして過去から抜け出そうとする葛藤」がより強調されますし、
  • メタ構造として読む解釈では、「苦しみも物語化されることで、ようやく観客と共有される」というニュアンスが強くなります。
解釈パターンスッキリ度麻倉雅美の救いの見え方多重構造の「遊び」感向いている視聴者タイプ
解釈A:山荘での出来事は基本的に現実高め現実の出来事を舞台化することで、過去を「見つめ直す」方向の救いがある中程度物語の出来事を素直に「起きたこと」として受け止めたい人
解釈B:巨大な演出として統合されている中程度すべてが仕掛けだった可能性を含めて、感情も演技も混ざり合う中での曖昧な救い高めトリックや仕掛け重視で、構造の方にワクワクする人
解釈C:現実/劇の境界をぼかしたメタ構造低めだがハマると深い苦しみや復讐心さえも物語化され、観客に共有されることで別種の救いが生まれるとても高いメタフィクションや「物語論」が好きで、解釈を考えるのが楽しい人

【結論】: ラストの解釈は、“一番しっくりくるものを自分で選んでよい”という前提で観直すと、『ある閉ざされた雪の山荘で』はぐっと楽になります。

なぜなら、多重構造ミステリのラストは、作者側も「解釈の幅」そのものを楽しんでもらうつもりで設計していることが多いからです。唯一の正解を探そうとすると息苦しくなりますが、自分の感情にフィットする解釈を選ぶと、作品が一気に“自分のもの”になります。

原作小説との付き合い方

『ある閉ざされた雪の山荘で』は、東野圭吾の同名小説が原作になっています。
原作小説は、映画よりも叙述トリック寄りの読み味が強く、映画版とは仕掛けの見せ方が少し異なります。

ざっくり言うと、

  • 映画版:
    • 多重構造ミステリとして、「レイヤー同士の関係性」そのものを楽しませる設計が強い。
  • 原作小説:
    • 語り方や情報の出し方を利用した、読者の認知を裏切るタイプの仕掛けがより前面に出る。

という違いがあります。

すでに映画を観ている人が原作を読むときは、「同じ設定と人物を使いながら、仕掛けの角度を変えた作品」として味わうとよいでしょう。
逆に、原作を読んでから映画を観る場合は、「原作で知っている情報を、映画がどう“立体化”してくるか」に注目すると楽しめます。


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よくある疑問Q&A:もう一歩踏み込んで理解したい人へ

Q1. 原作小説を読むと、映画版『ある閉ざされた雪の山荘で』のネタバレになりすぎませんか?

A. すでに映画版『ある閉ざされた雪の山荘で』を一度観ているのであれば、原作小説を読むことで「知らなかった重大な真相」が突然ネタバレする、という心配はあまりありません。
むしろ、同じ題材を「叙述トリック寄りに味付けした小説」として読み直す感覚に近くなります。

Q2. 2回目に映画版『ある閉ざされた雪の山荘で』を観るとき、どこに注目すると理解が深まりますか?

A. 2回目の鑑賞では、「誰の視点で物語が進んでいるか」と、「その場面が三つのどのレイヤーに属しているか」を意識してみてください。

  • 「これはオーディションの設定としての出来事なのか?」
  • 「久我和幸が、後に舞台化することを意識して見ている場面なのか?」

と、自分の中でラベルを付けながら観ると、構造が一気にクリアになります。

Q3. 『ある閉ざされた雪の山荘で』が好きなら、どんな東野圭吾作品も合いそうですか?

A. 『ある閉ざされた雪の山荘で』の「多重構造で遊ぶ感じ」「劇団という舞台設定」が好きであれば、東野圭吾の中でも構造や仕掛けに特徴がある作品と相性がよいことが多いです。
ただし、ここで個別作品名を挙げて詳細な仕掛けを語ると別作品のネタバレになってしまうため、

  • 「舞台・映画化されている作品」
  • 「クローズド・サークルもの」
    といったキーワードから、自分の好みに合いそうなタイトルを探してみるのがおすすめです。

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まとめ

最後に、『ある閉ざされた雪の山荘で』のポイントをもう一度だけ整理します。

  • 『ある閉ざされた雪の山荘で』は、
    • 雪の山荘での出来事
    • 劇団のオーディションとしての設定
    • 久我和幸による舞台作品
      という三重構造が重なり合う多重構造ミステリです。
  • ラストには複数の解釈があり、
    • 「山荘での出来事をどこまで現実として扱うか」
    • 「現実と芝居の境界をどれくらい曖昧にするか」
      によって、麻倉雅美の“救い”の見え方が変わってきます。
  • 原作小説は、映画版と同じ題材を使いながら、仕掛けのタイプや見せ方が少し異なります。
    映画版で構造を楽しんだ後に、別角度からのトリックを味わうつもりで読むと、一粒で二度おいしい体験になります。

もし時間があれば、「いま観ている場面は誰の視点で、どのレイヤーなのか?」という一点だけを意識しながら、もう一度『ある閉ざされた雪の山荘で』を観てみてください。
きっと、一度目とはまったく違う作品に見えてくるはずです。そして、そのときに自分の中で一番しっくりくる“推し解釈”を、ぜひ大切にしてあげてください。


参考文献リスト

※具体的な本文引用は行っていませんが、構造や制作背景を理解するうえで参考にできる情報源の例です。

  • 映画『ある閉ざされた雪の山荘で』公式サイト(作品基本情報・キャスト・スタッフ)
  • 東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』原作小説(講談社文庫 ほか)
  • 映画・演劇に関する一般的な多重構造ミステリ解説書・批評記事(クローズド・サークルや劇中劇の手法を扱うもの)

このガイドを、あなた自身の「解釈ノート」として、何度でも使ってもらえたらうれしいです。